☆ここからは「知識編」=記憶術の歴史、心理学、脳科学などのうんちくコーナーです。
| 7 |
古代ギリシャの記憶術と日本の記憶術 |
記憶術を生んだ古代ギリシャの方法
| 佐々木 記憶術は古代ギリシャで生まれたとのことですが、その当時の記憶術がどんなものだったのか、わかっているのですか? |
高山 今から2100年くらい前に、無名の青年が、当時のギリシャの記憶術の方法をラテン語で書いた本があります。「ヘレニウム宛修辞学」というわかりづらい名の本ですが、この本によってギリシャから帝政ローマに記憶術が伝えられたというのが定説となっています。
紀元前5~6世紀のギリシャに、記憶術の世界ではちょっと知られたシモニデスという詩人がいたのですが、彼の遺した記憶術の方法はワタナベ式でいう「基礎結合法」そのものでした。
シモニデスは建物内部の柱の彫刻や壁の装飾品、家具調度品などの配置を覚え、それに覚えるべき事柄をイメージで結びつける方法で覚えていたのです。現代では道順や風景に結びつけるのが一般的ですが、こうした方法にどんな名前をつけようが、同じ記憶技術であることに変わりはありません。
このほか、「難しいことばを、語呂合わせでやさしいことばに置き変える方法」などもすでに記されていて、ギリシャ・ローマの記憶術は今日の記憶術とほとんど変わらないものだったと考えられています。
弁論家のための記憶術
| ギリシャやローマで記憶術が発達したのは、印刷技術がなかったからでしょうか? |
たぶん、それは大きな理由の一つでしょうね。当時、知識は一部の人が独占していて、知識が多い人ほど偉くなれる時代でしたから。
でも、記憶術の技術に磨きがかかったのは、弁論術のためかもしれません。
帝政ローマ時代にキケロという、哲学者でもあり政治家、弁論家でもあるというすごい人がいたのですが、彼は3時間休まず演説を続けられるという超人でした。何が超人かというと、メモなしで行われたその演説が、草稿とまったく同じものだったのです。
当時は、どこかの国の政治家のような、ただ原稿を読み上げるだけの演説は禁じ手だったようです。そのため、記憶術は弁論家にとって必要不可欠な道具でした。キケロも「弁論家について」という記憶術の本を書いています。
このほかクィンティリアヌスという人も「弁論家教程」という記憶術本を書いて、記憶術が後世に伝わることに貢献しました。この人の場所に結びつけて覚える記憶法は、ローマの邸宅を利用したものです。先ほどのシモニデスと発想がそっくりでしょう?
明治時代の記憶術と井上円了博士
| 日本の記憶術はヨーロッパから入ってきたのですか? |
明治20年時代に欧米の記憶術の本が何冊か翻訳されています。「ワタナベ式」で有名な故・渡辺剛彰氏のお父さんが「編み出した」とされる記憶術も、井上円了博士という仏教哲学者の研究が元になっていました。井上円了という人はヨーロッパの記憶術を研究して、明治27年に「記憶術講義」という本を出しています。
また、このほかにも明治時代には、「記憶術の創始者」が何人か現れ、記憶術の本を書いています。
記憶術関係の本は、明治20年代になんと二十数冊も出版されているのです。これだけの記憶術ブームは現代でもありません。その背景には明治の立身出世主義があるといわれています。
でも、ブームが去ると記憶術は一部の研究家や大道芸人だけのものとなってしまいました。それを昭和50年代から再び掘り起こしたのが、渡辺剛彰先生の書籍です。この方は記憶術普及の面では、間違いなく日本の記憶術史上ナンバーワンの功労者ですが、ご自身を「記憶術の創始者」としてしまったのが、唯一残念な点です。あとで「ワタナベ式記憶術の創始者」と訂正していますが、中身が明治の記憶術と同じものですから、ちょっと苦しいですね。
| 「古代ギリシャの記憶術と日本の記憶術」のまとめ ・記憶術は古代ギリシャで生まれ、すでに「基礎結合法」の原型があった ・帝政ローマでは弁論家が記憶術を利用し、発展させた ・日本の記憶術は、明治時代に欧米の記憶術が取り入れられて広まった ・日本には明治の井上円了博士を初めとする「記憶術の創始者」が数名(!)いる |


★記憶術の歴史
